<< 後鼻漏(こうびろう)について考える 013 | main | 後鼻漏(こうびろう)について考えてはいるんですが、、、 >>

原発と核抑止について勝手に思う

連休も明けまして、普段から特に連休などにはあまり関係なくすごしているなんうん堂ですが、連休中も世の中は騒がしいかぎりでしたねえ。

例のユッケ事件の精肉の卸元がなんうん堂から近い大山にありまして、大山にはよく買い物に行くんですが、今回の事件は北陸や神奈川の事だと思っていたら意外と近くでもかかわりがあったんだなあと、少し驚いていました。

今年は本当にいろいろなことが起こる年です。

原発事故も震災もまだまだかすみませんが、それにしても今回、原発事故を通して今までよく知らなかった原発や放射線のことについていろいろと知る事ができた機会となりました。


知ると言っても概要が知れたぐらいなわけなんですが、しかし今回良くわかった事の一つは、

『原子力発電所は、誰も管理しなくなると水素が出てくるようになって爆発して、放射性物質がばら撒かれてしまう』

ということです。

非常用のディーゼル発電機がやられていなかったらなんとかなった、という考えもわいてきましたが、今回津波でやられた非常用のディーゼル発電機は、壊れてなくても長くて1週間しか持たないそうですし、非常用というのは非常時が終わるまで、言い換えれば人が人手をかけて非常事態を終わらせるまで、あるいは、非常事態が自然に終わるまでのつなぎということですよね。


で、タイトルの原発と核抑止ですが何が言いたいかというと、原子爆弾なんてどこかに落としたら、今や世界各地にある原子力発電所が混乱と人手不足で管理できなくなって今回のような爆発を起こし、放出された放射性物質が風に乗って世界中にばら撒かれて、結局は原子爆弾を放った国も莫大なダメージをこうむるんじゃないかなあ、と勝手に思ったという事なんです。

普通は原発と核抑止というと、原発を持っている国は核爆弾を作る材料があるんで、原子爆弾を持っていなくても持っているのと同じだよ、という意味で使われるようです。

「原子力は安全」という言葉は原子力を推進する方々が使ってきた言葉だと思いますが、これは誤りというか言葉が足りないと思いました。

『人が人事と手間を尽くして管理しているかぎりは』、原子力は安全
というのが正しいと思います。

日本では以前にも東海臨界事故がありましたが、あれも決められた手順を現場が勝手なやり方でやって起きた事故でした。

今回の原発事故も、過去に今回と同様クラスの津波が来ていることがわかっていたのに、そしていつ同じクラスの津波が起こってもおかしくない状況だったのに、なぜか津波の備えを怠ったことことが最大のミスでした。
(関係無いけれど、ユッケ事件も当事者の大腸菌に対する対策を怠りが原因ですね)


ともあれ、人の管理が無いと世界が危ない原発はもう世界中にあるわけです。

核爆弾の小型化で、持ち運べる核でテロ、なんて話もよくありますが、それだってできるかどうか。

そういう意味での「原発と核抑止」ということです。


これは浅学ななんうん堂は知らないんですが、どなたか学者さんが既にどこかでおっしゃっていることなんではないでしょうかねえ?というか、ちょっと知っている方なら当たり前に知っている事なんでしょうきっと。

原子力発電所があるところではその施設も攻撃できないし、それ以上にそれを管理する人を傷つけることも絶対に出来ない、ということですね。

世界は現在経済的にも持ちつ持たれつなわけで、世界で連携して助け合わないと、これだけ増えた核施設の管理がおろそかになってしまうんではないかなあ、と、思ったわけです。


はっきり言って、万が一人の手から離れてしまったら手がつけられなくなる原子力発電所はとても怖いです。

ですが、国の電気に関する政策についてはもう国民の総意が流れを決めると思っているので「国民の総意を受けた政治に携わる方々がいいようにやってください」としか思ってません。

ですので、原子力発電所を国の指針として継続して行くなら継続して行くで、今回の事故を教訓にして対策を十分にしていただいて、原子力以外で発電をするならそれはそれでうまいことやって欲しいです。


というか、ここで言いたかったことは、原子力発電所があったら戦争なんてやってられないじゃまいか?という事をシロウトなりに思いついたんだけど、これってどうなのよ?ということでした。

at 17:00, なんうん堂, エトセトラ

comments(0), -, - -

comment